こんにちは。
今回は、English Onlineから、アメリカ独立戦争についての記事を訳してみます。間違いがあるかもしれません。ご了承ください。
ソース記事:American Evolution ~English Online~
訳:
アメリカ革命は、イギリスからの独立を目指した13の植民地内で起きた革命である。
1775年に始まり、1783年に終わった。この革命は、アメリカという新しい国の基礎を作った。
この革命の原因と背景
最初の植民者たちは17世紀に彼ら自身でアメリカ大陸にやってきた。彼らはリーダーを選出し、直面する問題を解決しなければならなかった。イギリスは、植民者たちに関心が無く、国内に問題を抱えていた。
18世紀の中頃、世界を二分する戦争で、イギリスはフランスに勝利した。イギリスの勝利は、北アメリカにおけるイギリスの支配力を高めた。イギリス人は大西洋からミシシッピ川までを支配した。しかし、フランスとの戦いには多大なコストがかかっており、イギリス人は、アメリカの植民地にこの戦争の埋め合わせをすることに決めた。
植民者たちはイギリスの支配者たちに憤慨した。その理由は、イギリス本国が、彼らからお金を巻き上げようとしたことにはもちろん、アパラシア山脈より西の植民を植民者たちに認めなかったことにある。この地域はインディアンたちのものであり、イギリス人は彼らを怒らせたくなかった。
税金
フランスとの戦いの後、イギリスは植民地に課税というかたちで、お金を取ろうとした。これらの法律のひとつである印紙法は、公文書や新聞にまで課税した。植民者たちはさらに憤慨した。彼らはイギリス議会を代表していなかったので、彼ら自身の考えを述べるための方法を持っていなかった。彼ら植民者は、平等に扱われ、誰もが納得する権威を確かめたかった。
1770年のはじめ、イギリス人は植民地の秩序を保つために、兵士を送った。多くの法律は排除されたが、お茶の税だけはそのまま残されていた。1773年、植民者たちはインディアンに変装し、イギリスの船に乗り込み、積まれていたお茶をボストン港へ投げ捨てた。
1770年代において、植民地とイギリスの関係は悪化した。植民者たちは、イギリス人が彼らに売りたいものをボイコットし始めた。
戦争の始まり
1775年、植民者たちはイギリス人の支配に我慢することができなくなった。彼らは戦う準備をし始めた。アメリカ兵士たちは、マサチューセッツのレキシントンではじめ戦った。そして数ヶ月の間に、ジョージワシントンのリーダーシップのもと、軍隊を作った。
全ての植民者たちが、イギリスに反対して戦争にいきたかったわけではない。イギリスの下に留まりたいと考える人たちは、ロイヤリストと呼ばれた。イギリスからの独立を目指す人は、パトリオットと呼ばれた。
アメリカ植民地や戦争の準備ができていなかった。彼らは団結しておらず
、中央政府をもっていなかった。戦争が始まるとすぐに、13植民地の代表者たちは議会を作り、議論した。
独立宣言
だんだん植民者たちは、イギリスに頼らずに自らの問題を解決する事を宣言し始めた。彼らは自由に、彼ら自身で統率したかった。1776年の7月、独立宣言に署名した。
中心となった戦争
戦争がはじまった当初、戦力的に有利なイギリスが大きな戦争に勝利した。しかし1776年のクリスマスの夜、ジョージワシントンの軍隊はニュージャージー州のトレントンとプリンストンでの重要な戦いに勝利した。
1777年の10月、サラトガの戦いで、植民者は重要な勝利を納めた。フランスは、犬猿の仲であるイギリスにたいして、植民者を援助するために戦艦と兵士を送った。
冬の数ヶ月間、ジョージワシントンと彼の仲間たちにとって厳しいものとなった。彼らは満足に食料も無く、病気にも苦しんだ。しかしついに、彼らは自分たちが優れた戦士であることを証明し、イギリスとの重要な戦いに勝利した。何千ものアメリカの奴隷たちも、植民者のために戦った。
アメリカの勝利と和平条約
戦争の最終年は、南の植民地に焦点があてられた。1781年、イギリスの兵士たちはアメリカの兵士とフランスの兵士に敗北した。イギリスは降伏し、フランスのパリで和平条約に署名した。
社会の変化
この独立革命で、7000人以上のアメリカ人が亡くなったが、この独立革命はアメリカ社会に様々な変化をもたらした。この大きな国で、繁栄と成長が始まった。25%の奴隷たちは解放された。北の州は、完全に奴隷を解放した。
ボストン茶会事件はこのころの出来事だったんですね。印紙法のことをstamp actということが印象的でした。
